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会長挨拶

私立大学化学系教員連絡協議会
会長 日秋 俊彦(元日本大学教授)

 2025年4月より会長を務めます日秋俊彦(ひあき としひこ)です。私化連は、私立大学の発展と教育環境・教育の質の向上を目指し、化学系学科を有する関東の私立大学の教員によって1976年に設立されました。会の誕生に至る経緯については、第6代会長の吉弘芳郎先生が詳しく記しておられますので、ぜひご覧ください。
 設立から約50年が経過し、現在の会員数は25大学・35学科となっています。本会の主な活動として、毎年会員学科の中から当番学科を選び、その大学で企画されたシンポジウムのテーマについて活発な意見交換を行っています。なお、私化連には議事録を残さないという伝統があり、そのため自由闊達な議論が展開されることが、本会の成功の秘訣だと考えています。また、当番学科の大学を訪問し、キャンパスを見学する機会もあり、毎年大きな刺激を受けています。
 さて、近年の少子化などの影響により、私立大学を取り巻く環境はますます厳しさを増しています。文部科学省が2025年3月に公表した「私立大学に関する現状等について」によれば、日本の18歳人口は1992年の205万人をピークに減少し続け、2025年には110万人となりました[1]。大学進学者数は1992年で54万人(26.3%)でしたが、2025年には62万人(56.4%)と推計され、これまで増加傾向にありましたが、今後は減少が予測されています。また、文部科学省「学校基本統計」(令和5年)によると、全国の大学は国立86校、公立102校、私立622校であり、私立大学の割合は約77%にのぼります。学部学生の総数は263万人で、そのうち私立大学が占める割合は約78%です。化学系学科を有する大学に限ると、国立52校、公立6校、私立46校となり、地域別では首都圏28校、東北3校、北陸1校、東海3校、近畿8校、中国2校、九州4校(1学校法人で異なる地域に学科がある場合を含む)と、決して多い数ではありません[2]。一方、化学産業の動向を見てみると、経済産業省の報告によれば、化学産業の雇用は86万人、出荷額は約40兆円(全製造業の約14%)、付加価値額は15兆円(全製造業の約17%)に達しています[3]。これらはいずれも輸送用機械器具製造業に次ぐ規模であり、化学産業は自動車や電子機器などさまざまな分野に不可欠な素材を供給する基盤産業として、その重要性を増しています。こうした背景のもと、化学の専門知識を持つ人材の社会的ニーズは今後ますます高まると考えられます。
 私化連は、私立大学の化学系教員とともに、大学の発展に寄与すべく活動を続けてまいります。これからも社会に貢献できる人材の育成に尽力してまいりますので、引き続きご支援を賜りますようお願い申し上げます。

2025年5月記

私立大学化学系教員連絡協議会が生まれるまで

私立大学化学系教員連絡協議会
顧問(第6代会長) 吉弘 芳郎(明治大学名誉教授)

 1955年(昭和30年)頃から日本では工業生産の伸びとともに経済も伸び、1956年(昭和31年)の経済企画庁の経済白書で「もはや戦後でない」と記載されるようになった。この経済発展を支える多くの技術者、研究者の育成が急がれた。しかし当時は、理工系学部のある私立大学は少なく、技術者、研究者の育成は国立大学の理学部や工学部に依存していた。これらの学部の学生定員を急に増やすのが困難な状態であった。
 私立大学の多くは文科系学部で構成されていたが、これに工学部や理工学部が創設され、技術者の育成が行われた。文科系大学から創設された工学部や理工学部では、教育や研究の進め方が文科系学部になかなか理解されず創設された理工系の教員が苦労することもあった。理工系学部の学生の教育は優れた指導者の下での実験や実習が必要で、これについての費用が必要となる。
 しかし国からの私学に対しての財政的支援は少なく、これらを学生の授業料に頼ることになった。それぞれの私立大学が可能な限りの入学者を入学させることになり、これが教育、研究の面で私立大学に共通する問題の種となった。実験、実習など学生が体で体得する科目が基礎となる化学系の学科では、深刻な問題であった。大学の財政事情が根本の原因であるので、いくつかの学部を有する私立大学での、理工系学部の一学科では解決の方法もなかった。
 大学設置基準により、大学の教員組織、教員の資格が厳しく定められて、各大学ではこれを遵守している。私立大学の教員の教育、研究の負担は国立大学に比べて大きく、これが助手たちのいろいろな不満のもととなった。この不満は、学科単位では対応しきれない状態となった。関東地区の私立大学の化学系では、これらの問題にどのように対応しているかを話し合うことが望まれた。
 1961年(昭和36年)日本大学(故)永井彰一郎先生の呼びかけで、関東地区の私立大学の理工系化学科の教員が集まり、研究所を見学して私立大学の教員が交流する場が設けられたことがあった。この経験を基に、中央大学から都下の私立大学の化学系学科に話し合いの呼びかけが行われた。この呼びかけで日本大学理工学部工業化学科、東京理科大学工学部工業化学科、東洋大学工学部工業化学科、明治大学工学部工業化学科が中央大学理工学部工業化学科に加わって5学科で各大学での実情を本音で話し合った。本音での話し合いが重要であることが認識された。そして現場の様子を本音で話し合うため、議事録を残さないことにした。
 この話し合いで私立大学化学系の教員の連絡協議を組織化することが、望まれた。呼びかけの中央大学、日本大学、明治大学、東京理科大学が幹事校となり、幹事校の互選で当番校を決めた。当番校が化学系の大学に連絡その他の役務を行うこと、幹事校や当番校は、各大学持ち回りをするなど、会の運営方法などの骨子を決めた。初代の会長を(故)永井芳男先生にお願いすることにした。1976年(昭和51年)、会の名称、会員資格、事業、運営、会計、規約の原案が固められた。1977年(昭和52年)の設立総会で私立大学化学系教員連絡協議会規約が承認され、1977年(昭和52年)10月1日よりこれが実施された。その後若干の修正が行われたが現在までこの協議会は継続している。

私化連40周年記念誌

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第1章
第2章
第3章
統合版

役員の逝去について

香川 詔志 前会長  2017年6月11日逝去
本間 隆夫 元会長  2018年3月15日逝去
日高 久夫 副会長  2018年6月16日逝去
倉田 武夫 会長   2021年6月29日逝去
高橋 圭子 副会長  2021年12月11日逝去

追悼 香川 詔士 先生(私化連顧問 西海 英雄)
 2017年6月14日通夜が横浜市港南区サバスホールで行われました.15日告別式.先生の思いは,著書「小児麻痺に右足が支えた七十年」文芸社(2013)に記されている.それによると,先生は1942年香川県三豊郡財田村に生を受け,社会人として39年の長きにわたり関東学院大学の教員として勤められ,75才の生涯を終えられました.私化連の創立から関係され,それ以降の歴史を書き留められた「私化連40周年記念誌 1974-2014]ではたくさんの章を執筆されました.